自己肯定感を持つには何をどうすれば持てるのだろうか? その1

今回のテーマは、ある意味他のいろいろな文書と重複する部分が含まれている。同じ事を並べてもしょうがないので、いま俺がしたいなぁと感じる仕事のことについて深めたいと思う。
この問題のテーマを深めるのには、俺自身の夢を深めるのもありだと思う。今から俺のいろいろな夢を列挙していき深めようと思う。
まず、こんな風に日記を記していると、物書きになれたらいいなぁと感じるということを挙げたい。この夢は何も今に始まる話ではなく、前々から「なれればいいなぁ」と思っていることだ。
まず小説を読むようになったのが大きい。妹が高校生になりテストで100点をとったと聞いた時だった。その時俺は、心の病で入院し、退院したてだった。退院後はリハビリ施設に通っていた。21歳前後だったと思う。何の目標も無い俺に妹の100点は、俺に人生を考えさせるものになった。「このままでいいのか?」と。
何ができるかを考えたとき、自分も何かしらの勉強をしなければならないと考え、それまで避けていた活字を読む、という事を選択した。今思えば簡単な文章も読みにくいと思っていた事を思い出す。
同じに彼女との出会いも大きいものだった。俺の病に囚われ、失った時間を取り戻したいと思うきっかけになった。前向きに彼女と結婚する事を目指すことになったのだが、貪欲にいろいろ勉強をした。仙台一高通信制に入学したのもそういう自分のこれまでの殻を破りたいからだった。
そこからどうやって物書きを志したかだが、一言で言えば一高の学習スタイルが自分に合っていたという事だと思う。
自分のやる気一つで卒業できるか留年するかが決まるが、この高校の特徴だと思う。それまで30分も勉強すれば「そこそこやっただろう」と自己満足していた。しかし一高通信制のレポート提出期限を考えると間に合わないという状況が生まれた。こんな勉強時間では、テスト勉強も考えられない程の時間だと分かったのだ。
それでも自分で計画的に、しかも活字を読む事に積極的になっていた状況もあり、30分だった勉強時間を3時間に延ばしても苦にならずにかえって楽しいなぁと思う俺に変わっていた。学習が好きになった転機が一高通信制だといえる。
その傾向は、一高通信制を卒業しても変わらなかった。自分で読みたい本を読み進める事をするようになった。まぁ、全て学習が上手くいっているとは言い難い状況もあるにはあるが…。それも必要な傾向でもあるのかなぁと結論づけている文書を別に作っている。そんなに悲観的にはなっていない。
これからも小説なり思想書なりと読み進めたい。読みたいと思う本は沢山ある。「つんどく」になっている一つの悪しき慣習はあるが…。それも前向きに解決していきたい。
こんな風に学習を苦にする事なく続けられるようになったが故に物書きを志すようになった。ただ、今すぐにこの夢が叶うかと考えると、そんなに甘くはないと思う。
日記を記しつつ学習をするなかで何かが見えてきて、のめり込む程に没頭するアイディアが生まれるまで待とうと思う。
次の夢に移ろうと思う。(つづく
(文責 ピースマン)