一つだけ願いが叶うとしたら、俺は何を願う?

 難しい問題だなぁ。願いなんて小さいのから大きいのまで色々あるから。一つと絞るのはちょっと吟味しないといけない。
 まず何故こう言う問題を提起したのかについて考えたい。

 色々ある願いの内の一つを絞る事で、俺の目標を明確にする事がまず挙げられる。そうすれば目標に向かって行き易いのではないかと思うから。これだと思う事が見つかるのだから努力の方法や量を考え易くなるのだ。
 次に俺の状況を考えたい。それを明確に把握していると何の願いを一番求めているかが分かるから。

 今の状況は、まず悩んでばっかりだ。自己肯定感が持てないのが主な理由となる。そこから派生して「何で俺は、生きているのか?」とか「こんな事していて俺はいいのだろうか?」とか自分の理想通りに行かない事で悩んでいる…いうのがここ2年くらいの俺の悩みだ。トンネルは長いというのが俺の率直な感想だ。

 次に経済状況だ。この問題は自己肯定感とも繋がる問題である。何故か?自分の仕事に俺は引け目を感じるから。

 新聞配達をしているとはなかなか他人には言い難い。自分の仕事と他人の仕事を比べてしまい、俺は駄目だなぁと自己否定するのだ。勿論経済的に余裕がないのでいつも節約を考えているから、もっといい仕事は無いかとかも考える。自問自答だ。

 仕事は探せば何かしらのものがあると思う。しかしそう言う仕事に関して逃げているのが現状だ。結局前に踏み出せない。アルバイトもパートも何もやりたくないのが俺の感想だからだ。でも仕事をしたいと考えているのだからおかしな事だ。

 結局金が欲しいのかとも考えられるのだが、今でも親がいる関係で食い扶持にはありつけ、それなりのおこづかいも新聞配達で賄えるので、金の為と割り切って仕事をするとは考えられない。仕事をするなら、何かしらの意味をその仕事で得られなければ仕事での苦しい経験に絶えられないだろう。これが仕事を避ける俺の理由だ。

 親はいずれ亡くなるので今の内に自活出切る様に逞しくならないといけないのは分かるが、そんな打算的な考えでは前向きな変化は無いだろう。だから俺はこう考える。今は親に頼らないと生きていけない。親が元気なのが俺の生命線だ。仕事で疲れて帰って来る両親を少しでも楽にさせるのが俺の務めと考えるので、家事を全般的にこなしている。そんな生活から、この先これだと思う仕事にありつく!これが俺の目標だ。

 結論が出た様だ。結局俺が求めているのは仕事だった。しかし、こんな風に掘り下げて考えるとただ仕事をすればいいとは、俺自身思っていない事がわかる。意味ある仕事を見つけ、自活できる自分になる!これが俺の目標だし、願いなのだろうと分かった。

 今は自己肯定感も色々な悩みも全然克服されていないし、何の仕事がしたいのかも分からない。さっき目標が決まれば努力もし易いと言ったが、何を、具体的に、どんな仕事がしたいのか?それすら分からないのが俺の現状だ。悩みに悩んで、もがき苦しまなければ、俺の仕事を見つけるという願いは得られそうもない。要するに今の生活からはまだ抜け出せないのが分かる。だから目標とはこれから悩んで苦しみ抜くだとなる。

 でも俺は結構楽観視している。こんな俺の人生いいじゃないかと思うのだ。だって悩むという事は、向上心の現れだからと思うからだ。将来どんな自分になっているかなんて分からない。

 でもきっと生き生きと暮らしているのではないかと思う。それに俺は1人ではない。民青の仲間や共産党の同志達、それに和彦君(仮名)もいるし。
 これからも貪欲に突き進もうと思う。

(文責 ピースマン)