最賃体験で思う事

昨日の記事『最賃生活体験結果報告』の続きです。
この体験を通して思ったことを少し。

僕は最賃体験を4年連続でやってきましたが、そこで浮き彫りになったなぁ、と思う事があります。

我々は体験をより具体的に記録し、いかに日本の最賃が「人間らしい生活」とはかけ離れたものであるか、ということを明らかにし、各地域・省庁での要請行動に活かします。
ただ、そんな事は「やらなくても想像がつく」事でもあり、実際、厚労省の担当者には「そりゃあ、辛いのは当たり前でしょうよ」という反応もされます。
まぁ、50年も同じ要請をされれば相手だって飽きてはくるでしょうし。

ただ、最賃の低さは認識できても、実際にそのレベルで生活している人間の行動パターン、思考パターンというのはまだまだ明らかにされていません。
というか、そんな人達のことは誰も相手にしてこなかった。
つまり、社会的な認知を受けてこなかったのではないでしょうか。

僕が4年の体験を通じて浮き彫りなったと確信するのは、以下の点です。

(1)自分を認められなくなる
自分のメシを賄えないことにより、能力に疑問が生じる。

(2)他人も認められなくなる
とりわけ自分より「稼いで」いる人達を別格視するようになる。
過剰・盲目的な羨望や肯定、もしくは全否定。
対等な存在として見ない。
セレブって何なんでしょうねぇ?

(3)社会規範を無視する
マナーが悪くなる、ということではなく、税金や社会保険料といった責任を無視するしかなくなる。
実際、最低賃金の生活では税金だとか年金の支払いは邪魔でしょうがない。

(4)目の前しか見ない
今日のメシをどうするかという人間に10年先の展望を期待するのは厳しすぎる。
結果、殺那的な生き方になるが、日本人の平均寿命は世界最高水準にある。
簡単には死ねない。
今のところは…。

(5)圧倒的孤独感
お金が無いことは人間の行動を著しく規定する。
出掛けなければお金は使わないし、出掛けるお金もない。
結果孤独になるが、人間関係の線引きやコミュニケーションが出来なくなり、より孤独は深まる。
行き着く先は人間の社会的側面の喪失と忘却となる。


こういう事は最賃体験をやってると日々考えてしまうのです。お金もないし…。

今、ワーキングプアという貧民化が進行し、僕と同世代の人間はその中心にいます。叫んでます。

ただ、働いて金を稼げば全て解決するんだ、という安直な理屈も変わらずに存在します。

僕はこの間働きながらいろいろと勉強してきましたが、「そんな事は簡単にさせてもらえない」ということも確信しました。

別に赤旗を読んだから、というわけじゃありませんよ…。

最賃体験の報告を長々と書いてるうちに経済のことも書きたくなったので、次回はそんなテーマにしたいと思います。

(文責 sa)